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合宿N◎VA随想1;RLに向けたメッセージ 

 この間久しぶりにトーキョーN◎VAを遊んだのだが、それに関してRLが色々思い悩んでいる模様。自分の挙動についても色々と振り返るべき点はあるのだが、まずは彼の煩悶に対して言っておくべきことがあると感じたので、そこから始めることにする。趣旨上、超☆偉そうだが気にしない方向で。


1.吟遊詩人の話に対して

 君は「吟遊詩人になってしまった」などと何度も口にしている。最初に言っておきたいのはそんなことはないということであり、この誤解を解いておきたい。例えば「エクシードがPCと共に戦闘に参加したりエクシードの神業が事態解決の一端を担ったり」を指して「吟遊詩人プレイに走ってしまった」と考えているのならば、それは誤りであると言わせてもらう。

 RPGのプレイング用語としての「吟遊詩人」とは何か。NPCが活躍すれば吟遊詩人か?違う。私は、魅力的なNPCの活躍にPL達が喝采を送るセッションを何度も見たことがある。その場にいた者は皆、吟遊セッションだなどとは考えていなかったと思う。一方で、NPCがPCの戦闘を助けたり、事件解決にPC以外のキャラクターが特に貢献しなかったセッションについて「吟遊かよ」などと揶揄がされるのを見たこともある。


 RPGのプレイング用語としての「吟遊詩人」とは何か。揚げ足のような反証はここまでにして、自分なりにその意味を述べると次のようになるだろうか。
「ある参加者の物語りに、他の参加者の意志が介在することが困難または不可能である様相」
なお、プレイヤーにも発生しうる状態だという認識を持っているため、敢えてマスタリングに限定しないような言い方をしているので悪しからず。単純なケースについて語るのならば、ある参加者=マスター、他の参加者=プレイヤー、と置換すればいいだろう。

 RPGとはコミュニケーションとストーリーテリング(物語り)という二要素が、最も本質的な層を構成しているゲーム……言わば共語りのゲームであるが、吟遊詩人というのはこの部分を破壊する行為なわけだ。吟遊詩人とNPC活躍の関係については、前者のプレイング……というか(ここでは限定していいのだが)マスタリングが、後者という現象を誘発しやすいのだということは言える。そして両者は等号で結ばれるべき概念ではなく、概念として異なる段階・異なる種別にあるのだ、とも言えるだろう。


 さて繰り返すが、NPCが戦闘に参加したり、事件解決の一端を担ったりすることは別段吟遊詩人とイコールで結ばれる現象ではない。PLが、というか卓の空気が、ここはこのNPCが活躍するべきだと思ったのならば、その活躍は明確に共語りの結果なのだ。君自身を、また我々をも見損なわないで欲しい。我々は「君の物語に介入できなかったので放り投げた」のではなく、「アクト全体を見て、自分のキャラクターは脇役として物語られるべき、と意思決定をした」のであり、そして「判断を投げた」のではない。「判断しない立場にいるべきだ」と判断したのだ。



2.当事者性の話に対して

 さて、同文脈の話題であるが、続けて誤解を解いておきたい。君は我々が何度か「当事者はPC1とエクシードであって我々ではない」と述べたことについて、気に病んでいるようだ。吟遊だと煩悶していることの直接原因の一つはこのことではないかと推察している。さて、ここにもまた誤解がある。

 これは強調しておくが、あの言葉は非難では決してない。繰り返して否定し、述べておく。非難ではない。我々と君自身を見損なわないで欲しい。あれはむしろ、君が言うところの「エルダーとして何かしらの助言」に当たるのであって、基本的には「物語を俯瞰する視点から見た冷静な指摘」と見てもらえればよい(これに限らず、アクト進行における助言的な発言は、色々されていたと思う)。私はあの時点で、エクシードが「解決の一端を担う」どころか「解決の主体となるべき」と考えていたし、その旨は明確に述べたと思う。


 また十色氏も言ったと思うが、我々はあのアクトにおいて、あの時点から、演出家として自キャラを定義した。当事者でない即、参加者(共語りへの参加者。いるだけでいる意味がない状態のプレイヤーではない、という意味)でないわけではないのだ。物語上、特殊な意味を持つキャラクターというのは遥か昔からあった概念であり、今も通常のプレイングとしてそのような位置づけは存在する(まあ要するにPC番号はこれを明文化したもの)。当事者でないキャラクターを生んだ=吟遊詩人と称されたら、こちらも気が重くなるというものだ。

 まあ、この点について言えば、君は「そのようなプレイング」でない風にマスタリングをしたい、と考えていて、そこから「逆の結果になってしまった=失敗して(逆の在り方であると認識したところの)吟遊をしたからだ」という思考になってしまったようだから、上のような言い方ではあまり効果がなく、的が外れていると思うかもしれない。目標を遂げられなかったことを指して失敗と言うのは正しいから。そして失敗という単語に感性が引きずられてしまうのは無理からぬことだ。



3.「失敗」の話に対して

 この負の思考に正面からぶつけるべき言葉は目下私にはないが、とりあえず三つのことは言っておこうと思う。一つはシナリオから来る環境困難、一つは状況から来る環境困難、一つは目標とする理想と姿勢設定の齟齬である。


 まず一つ。ぶっちゃけた話、あのシナリオ自体出来はあまりよくはない。また箱庭プレイに向いた記述はされていない。SSSという形式に詰め込もうとし、また近年のFEARらしく事故を避けるように物語要素を配置しているので、やむをえないことではあるのだが。さて、そこから何が言いたいのかというと、君が目指していたプレイスタイル(ああ、これは一般的に箱庭型という単語で表されているスタイルだと思うが)は、あのシナリオでは元々やりにくかったのだ、ということだ。君が自分のハンドリングを負の方向に考えることはない。普通にやれば失敗ということになる可能性は高かった。


 もう一つ。先のことと似たような言い方になるが、あの時点でのプレイ環境自体がよくなかった。皆疲労していたし、RLも寝起き(というか一次休息後)だった。PLが安易で分かりやすい方向性に流れるのは無理からぬことだった(例えば、まかり間違ってPC間対立コンゲームが成立していたとしたら、皆げんなりしていたことだろう。というか成立させるプレイング自体に疲労が伴うし)。まして、PL1達はああいうプレイをメインにやってきた面子であり、また合宿でちょっと前にCSTをやってきたばかりなのだ。PLの、あの流れへのプッシュに飛びつき、また迎合する慣性の強さは如何ともし難かったと思う。


 最後に一つ。これは今回言及を避けようと思っていた反省点云々の領域に踏み出してしまうのであれだが、君がその目標を言語化したところの
「各々のゲストをロールプレイしつつ基本的には投げられたメッセージに機械的に対応するBOT」
という一文について。この目標にはあまりよろしくない点がある。RPGの参加者は常に投げられたメッセージに対して、己の現在操っているトークンがどのように対応するか考えなくてはいけないものだ。機械的に対応してよいのは、精緻な機械を用意できている時だけ——つまり、投げ掛けられるメッセージ、起こりうる状況を網羅している時だけである(ついでに言えば、N◎VA公式シナリオ風の、情報項目式記述の難・運用の齟齬は、この点から発する。あの方式を最大限生かした運用は、いつぞややったアドベンチャーゲーム的な、フラグとして現在アクセス可能な情報項目を常に明示するマスタリングになると思う)。

 さて(特に)GMにはPLのメッセージに対応する義務があり、かつ彼らのメッセージは己の何倍かの脳と口から出力されるわけであるから、当然予想外のメッセージにも対応する必要を想定するのが自然というものだろう。つまり、原理的には「機械的に対応するBOT」たることは不可能なのである。にもかかわらず機械になろうとすると何が起こるか。そこに起こるものは、自分の想定していないメッセージや状況に対する麻痺、あるいは無視——つまりは吟遊詩人にほかならない(念のために書いておくと、これは概ね原理的な話である。発せられうるメッセージや起こりうる状況を意識的に収束・限定させ、機械的な対応を可能にしようという試みは常に行われてきた)。

 この言葉にはいささか極論・原理的語りが入ってはいるが……ともあれ。心してもらいたい。今回のアクトで、私が「吟遊っぽさ」を感じた点があるとすれば、それはエクシードの活躍などではまったくなく、中盤で十色氏と、あと私のキャラがエクシードに会いに行ったシーンにあった。PC達とエクシードのやり取りにおいて、コミュニケーションが成立せず混乱したのを覚えているだろうか。あのシーンである。君は折々に、まさに「機械的に」対応した。私は、ホーントの問いかけをRLに翻訳すべく頑張ったことを覚えている。

 精緻な機械を準備するのはいいが、機械的に対応しようとしてはならない。PLのメッセージが自分の想定外のものであったら、それがどういう意味なのかを尋ねるべきだ。RLとして自分の物語を用意しないという立場はいいのだが(まあ、結果がどうなったかはさておき)、既製シナリオには既製の物語があり、それに対するPLの物語りを(無意識的にであれ)無視してしまっては、結局のところ意味がないというものだ。


 こんなところで〆。とりあえず、彼の煩悶の内容は私の認識としては妥当でないので、それに対するメッセージを書いてみた。反省会モードではなく基本的にはフォローが趣旨なので、「失敗について」の三番目の文は反省点の指摘というよりも、「そこは別に反省すべき点では特にない」という観点からのフォロー?という感じかもしれない。

 あと一応注意しておきたいのだが、上で「意思決定した」とか「判断した」とか何度も書いているが、そこにその意思決定や判断への評価は全く含まれていないので。無条件に肯定しているわけではないです。私のプレイングにも反省点は多数ある。まあ、あれだ。最終的には何が言いたいのかというと、楽しかったので無意味な(と私は思っている)ところで悶苦するなと。こちらも気が重くなる。

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