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Fate/Zero11話に寄せて:王の軍勢と「王」の話 

 先週、噂のFate/Zero(11話?)をはじめてまともに目撃したのですが、王の問答を見ながら「これが(twitterのTLで)噂のアレクサンドロスさん……なるほど騒がれる筈ですね」とか王の軍勢を見て「なんというアッララララーイ!」とか、まあつまり、なかなか感銘を受けました。これはすごいですね。

 原作既読者からは色々不満もあったようですし、わたしにとって色々気になったこともそれと重なってたりはしますが(冒頭からキャラの顔の輪郭が妙だったり……w)、それでもあれからは、本作の原作どころかFateシリーズの原作一般にまったく触れたことのない*わたしにも、色々と伝わってくるものがありました。

(*〈サブカルチャー博物学知識〉技能で分かりそうなことは把握してる程度)

 というわけで、あれを観ながらつらつら思ったことを、twitterに書いたりもしましたが別途ブログの方にもまとめておきます。まず「王の軍勢」の話をして、それから「王」というもののモデルの話をします。

(続編を書きました → 続・Fate/Zero11話に寄せて



■「王の軍勢」


 いやあれはすごかったですね。


「王とは! 誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉!」

然り!然り!大群

「然り!然り!」


 青暗く建物に囲まれた空間から一気に黄色い開空間に移動し、遠近遠と軍勢を描写し、無数の兵たちを俯瞰した時はぞくっときました。アレクサンドロスの軍なのに全員歩兵だししかも単騎突撃しちゃうんだ、とかはありましたが……w そこら辺は看過できます。実際よかったですよ。


◆ユニークキャラクター

 ちょっと、出てきた人々を見ていきたいと思いました。

追記:本箇所におけるキャラクター推測は、最初から分かっている王本人以外はあくまでも根拠の乏しい憶測に過ぎず、当たる可能性の濃い推測と言えば王の馬がプーケファロスであろう程度しかありません。以下の記述は、そういう前提でお願いいたします。

 ともあれまず王本人から。

アレクサンドロス

 若く美形で、敵に髭を掴まれるといけないからと(まだ根付いてなかった文化である)髭剃りを部下に命じたアレクサンドロス王ですが、それが髭もじゃおっさんキャラ・イスカンダルになってるのは、豪壮系キャラとして定義してることによる造形の必然というものでしょうか。画像左下にアレクサンドロス大王の首像を入れておきました。

 次に出てくるユニークキャラらしいのは、この金色鎧の人

金鎧

 誰でしょうね。アレクサンドロス軍で金色鎧と言えば王本人な気がしますけど、別人でしょうし。そうなると、王の分身とも言えるヘファイスティオンとか?あるいは豪華っぽいという以外に何の根拠もないですか、王の死後その後継者として首位にあったペルディッカスとか……
追記:この人はエジプトに王朝を拓いたプトレマイオスであろうという結論に至りました。根拠については続編にて)

 次はこの人。具足をつけていません。

文官

 これは文官めいた風体なので、役職は書記官だったエウメネスさんでしょう。ついでですから、別作品で主人公として活躍するエウメネスさんのお姿も掲示しときますね。

ヒストリエ七巻限定版

 岩明先生の『ヒストリエ七巻』の限定版の表紙の、書記官バージョンエウメネスです。超スキタイ人。コワイ!左から覗いている青年が同作におけるアレクサンドロス王ですね。

 さて次に出てくるのはこの老人

老人

 老将っぽいからという根拠しかありませんが、パルメニオンさんでしょうか?まあこういう「心象」が刻まれそうなインド遠征の時には既にパルメニオンさん死んでると思いますけど、史実を言い出したらアレクサンドロス王自身からどうなってしまうのかって感じですし、実戦に出ていた老将ということで、いいとしたいところです。

 次はこのあんちゃんって感じの方です。

にいちゃん

 誰でしょうね。さっぱり。原作を読めば(プレイすれば?)分かるのでしょうか。

 最後はこの鎧が特に白銀に輝いてる方

銀色鎧

 流石に登場シーンは露出が少なすぎるので、後の戦闘シーンから同一人物らしき人を補足してあります。なんか(後の)銀盾隊っぽいですし、浅黒い肌が上のパルメニオンさんっぽい人と同じなので、その息子さんで(後の)銀盾隊を率いてたニカノルさんでしょうか。


◆王に付き従う無双の兵士たち

 忘れてはいけないのが一般兵士たち、他の無双の勇者たちです。特に注目すべきがこのカット。

然り!然り!アップ

然り!然り!


 漠然と軍勢を眺めているだけでも、装備に多様性があることに気付くかと思いますが、このカットで注目すべきは真ん中の人です。パッと見で今で言うベドウィンっぽくも見える頭巾。左右に並んだ兵たちとは違うということをあからさまに伝えてくれます。実際にはちょっと違うんですが、おそらくペルシア兵を表現しようとしているのでしょう(この時代のアラブ兵は、大体素っ裸で描かれている気がします)。

追記:参考までに、ちょっと前に映画『アレクサンダー』で描かれたペルシア帝王ダレイオスさんとその軍勢の画像を掲示しときますね↓。

映画ダレイオス


 装備の多様性は、騎兵と歩兵の兵科とかいったこと以外に、出身地を端的に表すことがあります。アレクサンドロスは、マケドニア王国に生まれ、南方のギリシア諸ポリスを統率して、大ペルシア帝国に戦いを挑みました。例えば、先ほどのカットの真ん中すぐ右の人は、頬当の太陽紋「ヴェルギナの星」からマケドニア兵と知れます。
 そのまた右は、フリュギア式兜のようにもりあがった頭頂部に房飾りがついていますが、こういう装備をしたペルシア騎兵の絵を見たことがあるように思います。ただフリュギア式兜だとすれば西はイタリア北部に至るまで広く分布する型ですので、確たることは言えません。ペルシア兵でなければ、小アジア(現在のトルコ)北部からマケドニアに至る地域の兵でしょう。
 一方目を左側に転じると、中側の人の兜には鼻当てがついており、如何にもなギリシア戦士といった面構えです。イオニア式・ドーリア式より開放的ですし、カルキス式兜でしょう。一番左の人は、半袖ですしギリシア人かなぁと思いますが、アッティカ式兜でしょうか。
 
 まあ兜の形状からギリシアの中のどこの兵かを特定するのは無理があるのですが(上の◦◦式もあくまでも近代考古学の発掘活動からの命名であって、きちんと所属と対応しているわけではない)、ともかく確言できるのは、マケドニアの人間もギリシア圏諸国の人間も、また彼が征服した旧ペルシア帝国の人間も肩を揃え、イスカンダル王に「然り!然り!」と叫んでいるのだということであり、イスカンダルの「臣民」は既存の文化圏によって枠付けられた民ではないということです。

 己の後ろに集うこの新たな民を率い、新たな領域を征服し、新たな"くに"を打ち立てることこそがイスカンダルの王道なのです。






■「王」モデル


◆総論的モデル対比

 件の回ではイスカンダルさん曰くの「聖杯問答」、王の問答が行われましたが、王というもののモデルの対比と、それを象徴すべき英雄のチョイスというものが興味深かったです。

 1.ギルガメッシュ「英雄王」:法を与える王、法源として秩序創る王
 2.イスカンダル「征服王」:征服する王、征服地に自らの国を創る王
 3.アルトリア「騎士王」:守る王、法と秩序を護持する国家第一の僕


前二者のモデルにおいては、王がそのくに(以下国)に先立っており、後者のモデルでは国が王に先立っている点が根本的な差違になっています。

 前二者では、自らが治める国の形を創り定め、定義する存在として王があるので、そこには本質的に王の内なるもの――まあいわゆる個性とかが反映されることになります。
 一方、後者のモデルでは、自らの国やその秩序、その枠組みを、所与のものとして外から受け取るので、王の内的属人的な性質、いわゆる個性とかは二次的なものとならざるをえません。王の指導よりも上位に国、法、秩序、正義があり、王はあくまでも「国家第一の僕」「(くにたみという)同輩中の第一人者」なのです。「セイバーは王っていうより総理大臣とかの方が向いてるな」みたいな感想をネットで見かけましたが、そういう(国家第一の僕的)意味で、妥当性がある見解と言えます。


◆国家第一の僕:モデル3の行く末

 世界で王と呼ばれてきた者の多く、歴史書や歴史物語で大きな注目を集めてこなかった王たち。それはほとんどが3のセイバー王モデルの方に近い存在なわけですが、個人として「国家第一の僕」であり続けることは難しい。その機能を果たすべき存在として次第に今「政府」と呼ばれるようなものが発展し、個人にその責を負わせないような方向に進んできたという歴史があります。

 どんなに「英明な君主」であって、国を維持発展させてきたとしても、いつ「個人の性向」によってそれがぶれるか知れませんし、そもそも個人、肉体を持つ存在としてのわれわれ自然人というものは、いつか寿命で死にます。王という個人、自然人の死は不可避。そこで発展していくのが法人としての統治者、つまり「政府」です。

 法人と自然人の最大の違いは、法人は理論上、寿命によっては死なないということがあります。自然人個人はどうあっても死にますが、法人は部品――つまりその中で奉仕する自然人を交換することで、理論上永生します。国家元首が政府の第一人者としての重圧に耐えられなくなったら、新しい元首で交換すればいいのです。個人の交代が根本的な影響を与えないようにするための仕組みが行政機構なのですから。

 そうして、個人が複雑な仕組みの中で交換可能な部品となって、全体としての法人(種族:リヴァイアサン /feat.ホッブズ)の生命維持に奉仕し、その法人が国を統治するようになった――これが「国家第一の僕」モデルの現在に至る流れと言えます。個人以上のものが求められるのがこのモデルであり、個人には困難なわけですから、個人以上のものとしてリヴァイアサンが生まれたわけです。


◆セイバー=アルトリアさんの破綻

 世界の歴史の流れとは概ねそのようになってきたわけですが、英雄というのはこういう唯物論(笑)的な一般傾向に対して無茶を通せてこそ英雄です。王たるアルトリアさんにおいて、最初からこのモデルが――最終的に死んで秩序維持者という機能を果たせなくなる定めによって――破綻していたわけではないのは、設定を見れば察っせられます。

 アルトリアさんは、石に刺さりし剣カリバーンを抜いた時点で、老化・成長が止まっていますよね。彼女はこれで永遠に統治し、国を守り続けることができるようになっているわけです。我々のアーサー王伝説でも、アーサーの統治が終わったのは彼が死んだからではありません。彼は「かつての王にして未来の王(Rex Quondam, Rexque Futurus)」であり、再び必要とされ、王として現れる日をアヴァロンで待っているのです。

 しかし――まさにこの無茶こそが、その統治の破綻を招いてしまったのだろうこともまた察っせられます。守り維持することが即ち統治であるような王において、教え導くこと、自分なくとも秩序を維持できる存在、後継王を代表とする次世代を育てることが必要とされます。また、そこにどうしても人間・個性の関係が発生し、国家第一の僕以外のものが顕れます。

 ところが理論上永遠に統治し、国を守れるようになった王からは、その必要性が失われます。永遠に純一国家第一の僕、法と正義と秩序の体現者でいられるのです。自分がずっと国にあって、問題が起これば自分が解決し、法と正義と秩序を回復すればいいのですから。Fate/Zeroの問答にあった、ひたすら「救い続ける」アルトリアさんの誕生です――ところで、王はそれでいいわけですが、人間は人間にしかついていけないという問題を抱えています。

 人間性を捨てて何か――例えば、法と正義と秩序――の体現者となった存在――イスカンダルさんの言葉を借りれば、偶像――と、王でない人間たちの間には歪みと不信が生まれるのです。まして、アルトリア=アーサー王は、王になったこと事態、自らの内発性の結果としてというよりは、剣に選ばれた結果ですよね。個性との乖離はいや増します。偶像たらんと自らに課すところ大だったでしょう。

 問題あらば自分で解決し、救い続ければいいわけですが、もちろん英雄とて万能というわけではありません。11話の最後で、おそらくランスロットと思しき人物が、「王は人の心がわからない」と言って彼女の下を去ったことが示唆されています。歪みが拡大してしまい、それを王が解決し切れなくなった時、破綻が起きたわけです。


◆ギルガメッシュとイスカンダル

 ギルガメッシュさんの台詞少ないなとは思ってましたけど、原作からはやっぱり削られてたそうですね。全体の長さを圧縮するために、「三者間の問答」を「ギルガメッシュ-イスカンダル間の問答」「イスカンダル-アルトリア間の問答」に圧縮したのでしょう。台詞は少ないのでキャラ表現、人間描写としてはなんだかな感はありましたが、主題の範囲で語られるべきことは語られたと思います。でもなんだかなではありますね。

 何かの体現者。ギルガメッシュやイスカンダルもアルトリア同様にまたそうであり、故に英霊たる王としてこの物語に持ち出されてきたわけですが、彼らにおいてはこの「何かの体現」というのがその個性・人間性と一致している点がアルトリアさんと違う点です。先に述べたように、彼らは統治すべき領域を受け継ぎ守るのではなくそれを定義する王であり、その統治こそがくにたみを創り出します。

 ギルガメッシュは、始原の人の群れに最初の法を与え、最初の秩序と最初の臣民を創り出すことによって。イスカンダルは、既存の枠を超えて臣民を集め、既存の枠を超えて領域を征服し、そこに国を創ることによって。彼らという王は、個人として、国と法と秩序に先立つのであり、「同輩中の第一人者」である「国家第一の僕」とは違うのです。

 ギルガメッシュとイスカンダルはその点で性質を同じくするが故に認め合い*、前者を始原の「既存秩序」と認めた上で、それを「征服」するのが後者の王道――だから、「後は剣を交えるのみ」。この言葉で、ギルガメッシュとイスカンダルの間での問答は終わったのです。

(*あの嘲笑的だったギルガメッシュさんが、件の11話でアルトリアに対しては「騎士王とやら」で終えた一方、イスカンダルに対して「征服王」と呼びかけた辺りからそう思いました)


◆イスカンダルとアルトリア

 何かを体現していること、というのが、その個性・人間性と一致しているしていない点が、王たる個人としての、二者とアルトリアと異なる点と述べました。基本嘲笑して終わるギルガメッシュはカメラの焦点から外れ、イスカンダルさんがアルトリアにその点と、破綻の原因を諭すというのが問答の流れになります。

 「そんな生き方は人ではない」
 「王という偶像に縛られていただけ」

 「誰が憧れる、焦がれるほどの夢を見る?」
 「ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか」
 「臣下を救うばかりで、導くことをしなかった」

 アルトリアが失ったかに見えるものを「王の軍勢」で如何なく見せつけたイスカンダルは、アルトリアさんの理想を一概には否定しません――「ひとたび国と民を救済したかもしれぬ」。ですが彼は、その理想が個人たるアルトリアに課した歪みを、まさにその王たる立場、統治をその理想ごと破綻せしめた、個人としての自己を否定するという「呪い」について指摘し……その「夢」から醒めろ、と、語りかけるのです。

 その呪いに苦しみもがく姿を慰み者に相応しいと豪語するギルガメッシュさんはさておき、イスカンダルはただ痛ましげです。しかし、一回言われたくらいでそれまでの自らの生き方を否定できる人間はそうそういませんし、聞くところではこの葛藤はFate/Stay Nightで解消されるそうですから、本作ではアルトリアさんはずっとそのままなのでしょうね。

 彼女も王の宝具たる「円卓」を持っていてもよかったのかもしれませんが(この辺の話題が原作でどう扱われているか、また扱われていないのかは知りませんが)、アーサーがランスロットの和議と援軍を待たずしてモードレッドとの決戦を挑んでしまった時点で、割れた円卓は完全に戻らぬものになってしまったないし、英霊として持っておけるものではなくなったのかもしれませんね。
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laevaと名乗っていましたが、呼ばれる際に恥ずかしいという問題が発覚して以来、にるば(nirva)と名乗ってます。RPG、ボードゲームなどが趣味。
 
 コメントへの返信が大体遅れておりまして失礼しておりますが、おそらく質問等は、twitterの方でしていただいた方が短時間で認知できる確実性が高いかと思います(右カラム参照)。

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