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[Togetter] (T)RPGにおけるアドリブと、日常的教養蓄積のはなし 

 → (T)RPGにおけるアドリブと、日常的教養蓄積のはなし

 ある日、S. グリーンブラットなる人の『ルネサンスの自己成型:モアからシェイクスピアまで』という本の、次のような記述が目に入りました。

「その「ルネサンス的行動」様式を私は即興演技(improvisation)と呼ぶことにするが、それによって私が意味するのは、予期されなかったものを利用し、また、与えられた素材を自分のシナリオに沿うように変形させる能力である。即興演技といっても、ここで必要なのは、興に応じる当意即妙の才より、固定され確立されているように見えるものを自分の都合に合わせて把握する能力である。実際、カスティリオーネを初め多くのルネサンス人がよく理解していたように、即興演技に見られる咄嗟の機転という性格自体が、往々にして、計算された仮面、周到な準備の所産である。逆に、筋たてというものは、文芸的なものであれ行動上のものであれ、すべて必ず、その起源を、形式の整合に先立つ瞬間――与えられた利用可能な素材が新たなかたちに矯められる、そういった実験的で偶発的な衝動の瞬間――に持っている。どこまでが純粋に意図して用意されたもので、どこからが純粋に偶然の産物なのかなど、特定出来るものではないのだ。本質的なのは、繰り返し原住民の既存の政治的ならびに宗教的構造に、さらには心的構造にすら、巧みに入り込んで、そういった構造を自分たちに有利なように変えてしまうヨーロッパ人の能力である。」

 RPG者である私がこれを見て何を思ったかは、言うまでもありませんね。マスタリング、特にアドリブの話です。もちろんこれは、ただGMのみに求められ、ただGMのみが運用する能力というわけでもありませんが――さて、そんな話から始まったtwitter上の小話ですが、概ねこんな内容でお送りしております。

・TRPGにおけるアドリブ
・と、「何も用意しないこと」の原理的な不可能性
・RPG者と日頃の経験や記憶の蓄積
・と、そのRPG社会的位置づけの推移

 ところで、今世紀からRPGを始めた人って、RPG用語としての「アドリブ」という言葉は知っていて、使うことってあるんですかね。今や死語化しているような印象があるんですが。



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laevaと名乗っていましたが、呼ばれる際に恥ずかしいという問題が発覚して以来、にるば(nirva)と名乗ってます。RPG、ボードゲームなどが趣味。
 
 コメントへの返信が大体遅れておりまして失礼しておりますが、おそらく質問等は、twitterの方でしていただいた方が短時間で認知できる確実性が高いかと思います(右カラム参照)。

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