スケーリング移動の問題
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まりおんさんのところを久しぶりに閲覧したら、面白そうな話がされていたのでレスを入れさせていただこうと思ったら、ちょっと書いた時点でこれはコメントとして書き込むにはちと大き過ぎになりそうだと思ったので自分のところに落としておくことにしました。
1.スケーリングの問題
RQで顕著に言われたスケーリングの問題とは、世界をシミュレートしようとするメカニズムであるが故のものと言うことができるでしょう。一つの常識、一つのスタンダード、一つの法則系を表現したが故に、それ以外の世界を表現できなくなったわけです。
実のところ、大抵のゲームでは大なり小なりこれに対する(結果的意味での)対策が盛り込まれています。上で述べられた問題についての対策というのは、一般化していしまえば、R=Wが美しく単純に示して見せたように、一定の範囲の「格」ごとに可能な行動、影響を及ぼせる範囲を(大きく)変えるということに他なりません。
専ら一定の格における法則・スタンダードを表現することに優れてしまう、そんなシステムにとってこの事実は「同じ規模の別なゲーム/メカニズムを用意しろ」あるいは「物語世界のスケールをその範囲に抑えろ」という宣告に等しいと言えるでしょう。一方、そうでないシステムは、割とほいほい「実質別ゲー」を内包できるものです。
1-1.レベル制のスケール上昇
いわゆるレベル制というのは、「可能行動のパッケージを単位として、個々のパッケージを逐次的に提供していくシステム」とでも言い換えることができるでしょうが、この分類における古典的なゲームでの「対策」の例を見ていきます。
1-1-1.D&Dを事例にして
いわゆるレベル制のゲームでは、これは「レベルごとに、あるいは一定のレベルになると、選択の可能範囲ががらりと変わる」というような風に実装されることになります。D&Dで言えば、この性質は魔法に顕著に見られますが、v3.5までのD&Dをそこそこプレイした人ならばこれはよくよく実感できていることでしょう。
まずクラスを問わない話ですが、1-2レベル辺りの「ありふれた一撃で死ぬ」可能性にビクビクする超低レベル帯は、それ以降とは全く質が異なります。
そして5レベル辺りになって3レベル呪文が使えるようになると、ファイアボールで「雑魚は一掃するもの」になり、あるいは面を制圧できるようになり。フライやウォーターブリージングで「それまで不可能だった移動が可能になった」りします。それまでは町の衛兵や山賊に毛が生えたような、できること自体には大差ない存在だったのが、明確に特殊技能者になるわけです。
そして9レベルくらいになって5レベル呪文が使えるようになると、テレポートで都市を跨ぎ(行動範囲が丸変わりする)、スクライで遥かな敵を覗き見し、また異世界から未知の可能性についての情報を得ると(情報の単位が変わる)。そしてやがてプレーンシフトとか使えるようになり以下略。
影響を与えられる人的集団とかはメカニズム的に記述しようとはしていませんが、例えばコミュニティの大きさは数値化されているのでそこで比べることが可能です。分かりやすい「金銭」で見ても、上のようなレベルに行けば地方町村の経済を軽く破滅させられる程度の財力を持つようになっているでしょう。そこそこの重要人物になっている筈です(世界の英雄には遠いですが)。
魔法ばかりを例にとりましたが、まあそちらの方が特徴が顕著で分かりやすいのです。顕著なあまり、前衛側の「可能性のスケール上昇」速度とつり合っていないため、高レベルで「キャスター様がいればいいや」的なノリが発生したりするわけですが……まあそれはさておきます。
以上のような性質はもちろんD&Dに固有のことではなく、有名どころを挙げれば、SWでもアルシャードでも同じような現象が見られます(スケール上昇の格差への対処は年代によって差が見られますが)。このような構図はOD&Dの昔から本質的には変わっていないと言えるでしょう。
1974年中には既に原稿ができていた『Greyhawk』を使えば、1LVの時最終兵器スリープを一発撃てばあとは凡人以下なマジックユーザーや、劣化ファイターだったクレリックも、一般兵が百人ほど隊伍を組んで迫ってきても魔法を1、2発撃てば軽く一掃することができるようになります。テレポートで空を跨ぎ、タイムストップで時を操り、ウィッシュが呪文書にあるならば、物語の主人公の願いを『叶えてやる』立場にすらなれるわけです。このレベルの「英雄」たちは、単純戦闘力で言っても……まあ一騎当千とはいきませんが一騎当数百程度は名乗れるでしょう。
1-1-2.蛇足
蛇足ながら『Chainmail(以下チェインメイル)』について触れておきますと、「Hero」や「Super Hero」といった存在が設定され、通常の軽歩兵を配備するのに必要なポイントが1ポイントなのですが、彼らを配備するのには20とか50だとかの数字が必要になってきます。「Super Hero」などは「these fellows are one-man armies!」と謳われ、彼らが突撃をかけるや、敵ユニットはその突撃射線上にいただけでゲームから除外される(士気崩壊して逃散する)可能性があります。英雄に相応しい扱いと言えるでしょう。
なお、ヒーロー/スーパーヒーローの区分は『White Bear and Red Moon(以下ドラゴンパス)』にも踏襲されていますが、もちろんスケール比は大分異なります。『チェインメイル』では彼らはそれぞれ80人/160人程度の兵力相当でしかありません。
例えば、まともに戦力表示されるキャラクターで最も強大な存在は巨人(240人相当)で、両ゲームのヒーローと巨人の戦力比を単純に比較すると同じようなものですが(ドラゴンパスではヒーロー4、巨人15)、チェインメイルでの巨人はOD&Dを参照する限りヒルジャイアントの身の丈12'、ドラゴンパスの巨人に比べて4分の1ほどの身長しかない存在です。
1-2.シミュレーショニズムのスケール上昇
ゲームのメカニズム設計において、世界を表現する、世界をシミュレートするという流れが存在します。この思想を(仮に)シミュレーショニズムと私は呼んでいますが、この発想はいわゆる「スキル制」を必然的に表象することになります。
再びパッケージという言葉を使えば、これにおいて、世界(少なくとも表現しようという意味空間)は要素還元され、細分化され、世界要素(データ)のパッケージングとして表されるのです。人間の可能行動ももちろんこの中に置かれ、トップダウン的に細分化されていきます。そうして生まれたのがスキル制だと言えるでしょう。
当然ですが、無限に細分化することはできませんし、しても我々に扱うことはできません。それに、細かく細分化してそれをそのまま扱えるかというと、我々人間の認識野は別にそんな風にできているわけではないので、ある程度のパッケージングを必要とします。
分かりやすい例で言えば文化や職業という中間的要素でより下位の要素(技能など)をパッケージしている実装が挙げられるでしょうし、また、可能性としての無限細分をどれだけパッケージするか――ないし、世界をどの程度まで、どういう基準で細分化するか、もゲームによって異なってきます。
「BRPなどを典型とするスキル制/D&Dを典型とするクラス制の二元論」は、あくまでも歴史的に構築された便宜的なものとして、あまり原理的に扱わない方がよいでしょう。あらゆるゲームは細分化とパッケージングの二方向の中で、複合的存在としてあるのですから(とは言え、やはり傾向というのはあるもので、「スキル制/クラス制」という区分がまったく役に立たないわけではありません)。
脱線しましたが、このシミュレーショニズムの傾向が強いゲームでは、一定の枠で世界が定められトップダウンで設計が行われるものですから、その世界の「外」を遊ぼうとすると途端に折り合いが悪くなるのです。さて、同じく古典的なものを例にとって「対策」を見てみましょう。
1-2-1.トラベラーを事例にして
マーク・ミラーの『トラベラー』は、言うまでもないでしょうが「世界の仕組み的なものをルール化」し、世界を表現するというメカニズムの流れの嚆矢となった作品です。トラベラーがスケール上昇の問題について出した答えはとてもシンプルで、かつ重厚長大なものでした。
「世界内で階梯が変わるなら、それぞれにルールを作ればいいじゃないの」
同じ規模の別なゲーム/メカニズムを用意しろ、をガチで遂行しているのがトラベラーです。個人を作らせて個人のスケールのルールを遊ばせ、部隊を作らせて部隊のスケールで遊ばせ、戦艦を造らせて戦艦のスケールで遊ばせ、艦隊を作らせて艦隊のスケールで遊ばせ……以下略。プレイヤーはある時はキャラクター個人の痴話喧嘩に悩み、ある時は戦艦の中のトイレ問題に悩み、またある時は艦隊左翼の運動に悩む……と。
まあ『1兆クレジット艦隊』を使って上から下まで様々なスケールを縦横無尽なんてやっているプレイグループが実在するかという問題はありますが(態度や姿勢という話ではなくて、一人生を消費しないとその域に至れない気がする)……広い枠でこの思想を貫徹しようとすると、直感的意味での見通しが悪くなり、プレイアビリティが低下するという問題が明瞭に見えますね。まあそれはさておき。
要は、キャラクターが背景にしている社会規模・物語規模が拡大したならば、拡大に対応して上の階層のルールにステップアップすればいいというわけです(それでもあらゆる人類社会を網羅したものを用意しているわけでは流石になく、主に宇宙戦役空間に物語範囲を限っているわけですが)。
ちなみに、こういった発想は当然ながら、トラベラー固有のものではありません。D&Dの領土経営ルール、また神格ルールを例にとれば分かりやすいでしょう。そもそも世界の最高存在から最低存在までレベルで統一的に表記しているということは、レベルという数値で以て世界階層の中の位置を表すことができるということでもあります。戦闘ゲームという性質と密接に結びついたままに、そのまま使うことによる問題、というのはありますが。
グローランサも同じように表現される可能性はあったのでしょう。個別共同体経営/戦闘/魔術ルール、国家規模の経営/戦争/魔術ルール、帝国や文明規模で以下略。思い出して下さい。『ルーンクエスト』にあった、個人を単位(キャラクター)としているにも関わらず、個人規模では決して使わない魔術の数々を。『ドラゴンパス』や『King of Dragon Pass』を。上位ルールに当てはまるものが部分的には存在したわけです。
ここで文章を切れる気がしたのでとりあえず切り。うーむ、この調子で書いていたら、直接的コメントとして考えていた部分にいつ辿り着けるやらw
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コメント
「細けえこたぁいんだよォ!」とブン投げちゃうのも一つの回答ではあるよねw
以下私見。
現行のシステムではカオスフレアがこれを最も豪快にブン投げた形だと思っていて、宇宙戦艦の主砲とファイアーボールとクロスボウと騎兵隊突撃を同じ判定で運用できるのはコレくらいじゃなかろうか。不勉強でよく知らないのだけど源流はN◎VAなのかな?
相当品ルール等にも関連があると思うのだけど、基幹部分のデータさえ守ってればあとはお好きに表現なさいませ、という……土台のピザはみな同じにして、その上に載せるアイテムなり特技で差異を生み出してるとも言えるんじゃなかろうか。
N◎VAとかカオスフレアみたいなごった煮システムだからこそ実現出来たのかもしれないね。
まあブン投げるという表現はともかく、上の話を続けるならそういう方向へ進んでいく(カオスフレアに向かっていくって意味ではない)。
君も知っての通りの理由もあって、多分少なくとも三日間は放置するけど……
ともかくとか言ってるのは、「細けえこたぁいんだよォ!」という発想ではあそこにはたどり着けないから。明らかに身体感覚を逸脱し、直感に逆行する現象を積極的に生めるメカニズムなんてのは、長年にわたって構築されてきた流れと綿密な計算がないと送り出せないと思う。
「細けえこたぁいんだよォ!」の代表はT&Tかなw あと語り部とか。
ブン投げるという表現は誤弊があることは認めつつ、それまでに蓄積されてきたもの(D&DしかりガープスしかりN◎VAしかり)を踏まえた上で「細けぇことはいいんだよぉ!」してるのは確かではなかろうか。
デザイナーの意図というか、やりたいイメージのすり合わせに悩めるユーザーに対するメッセージって意味でさ。
L氏のいう身体感覚の逸脱とか直感に逆行なるものが僕にはいまいちピンとこないのだけど(普通ならスケールの違う主砲斉射とファイアーボールを「あえて」同列に処理するってこと?)、「同じでいいじゃん、気楽にいこうぜ」と言ってるように思えた。
語り部はシンプルに過ぎて別の違和感があったようななかったようなw
ともあれ明日明後日はよろしく。続きも余力のあるときにぜひ。楽しみにしておりますよ。
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