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デイヴ・アーンソンに 

 デイヴ・アーンソンが逝去した。

 → Dungeons and Dragons 4th Edition - » Dave Arneson

 入院した、とうに死んだ、持ち直した、いややはり亡くなった、などと情報が錯綜したが(上の記事はさんざ上書きされてしまっているが、**RE-UPDATE**などとあるのがその名残である)、結局は亡くなられてしまった。約13ヶ月前にガイギャックスが世を去られたが、アーンソンはガイギャックスよりも9年も年若であった。昨年のガイギャックスの折と同様、WotCのサイトのトップは黒く喪装されている。

 第一報からもうそれなりの時が経ってしまったが、それはそれとして、自分として何か書いておきたいと思って久しぶりにここに手を付ける。



 当たり前のことだが、私が氏に個人的な関係を持っているなどということはまったくない。だがそれでいて、私がアーンソンに関係があるとすれば、それは非常に個人的なものである。

 私はただの人間として、己が魂の水としてRPGを選んだ。言ってみれば何のことはない、要は重要な趣味だという位の話であるが、仮にこの先疎遠になったとしても、このRPGというやつが私という人間存在が形成されるに当たって大きな役割を果たした文化要素であったという事実は決して消えないだろう。

 そして、アーンソンはそのRPGの父だったのである。






 『チェインメイル』と『ダンジョンズ&ドラゴンズ(以下D&D)』の間に――というより、『チェインメイル』が留まるミニチュアウォーゲーム、戦闘シミュレーションゲームという領域と、D&Dが生み出されたことによって拓かれた「RPG」という新しい地平。その間に起きた飛躍とは何だったのか。

 端的に言えば、それがアーンソンの具現化した「(ゲームとしての)ロールプレイング」なのだ。


 「D&Dは戦闘ゲーム、個人級ウォーゲームとして生まれた」などという言説がよく見受けられるが(実際、作った当人達は作った時にはそういうジャンルしか知らなかった故にそういう名前を冠して世に送り出したわけで、誤りではないのだが)、戦闘シミュレーションゲームとして見る限り、戦闘級戦闘シミュレーションゲームはあくまでも戦闘級戦闘シミュレーションゲームに過ぎない。

 そんなものは1500年も前にインドで生み出されている。ここ200年で戦闘シミュレートの高度化・精密化が進んだとは言え、その体系で語る限り、まったく新しいジャンルを生み出した源泉を提示することはできないだろう。


 その進化とは、ウォーゲームという領域の中に生まれた「一戦闘員を単位として遊ぶ」という枠組みがロールプレイングというものによって「一人間を単位として遊ぶ」という枠組みに転化したことに他ならない。「物語る」というゲームの性質の体系(の一つ)にとって、これは絶大なる飛躍となったのである。

 大いなる抽象によって生まれたチャトランガから、歴史性や戦争のリアリティを己が基準として課した近代ウォーゲームたちまで……「戦争を物語る」ゲームであり続けたのを「人間を物語る」ゲームへと作り替えて、可能性の沃野を一挙に拓いた。それがアーンソンの「ロールプレイング」であった。


 アーンソンがいなければRPGが生まれなかったとは言わない。アーンソン以外の誰かが似た概念を発明し、ゲームの形で実装していたろうと思う。D&D以前から持っていたアイデアを、D&Dとの遭遇によって見えるようになったRPGという沃野で表現した人は多いし、このような人々から出てくることになっていたかもしれない。ご存知グレッグ・スタフォードなどその代表格と言えよう――マーク・ミラーやグレッグがRPGの起点となっていたならば、この文化は大分異なった模様を描いていたに違いない。

 だが、実際にこれを創り出して、現存する歴史模様を決定づけたのはアーンソンであった。その名誉は永遠に彼のものであり、運悪くそれに辿り着くことができなかった他の偉人たちが決して取って代わることができない位置である。そして私にとっても、己を構成するもののルーツ(の一つ)として――言わば精神的父の一人として、アーンソンの名前は消えることがない。


 だから、その死に――RPGの父にして私の父の一人が、この世から永久に失われたことに、ここで哀悼の意を表したいと思う。心から。






 ありがとう、そしてさようなら。

 会ったこともないけれど、あなたがガイギャックスと世に送り出したものに、私はとても大きな恩恵を受けました。一年前にも同じようなことを言ったけれど、何度でも繰り返せます。私は終生このゲームを続けていくでしょう。そしてこのゲームが、人類文化の続く限り永遠に続くことを祈っています。





 
 上のRPG観だが、歴史的・構築的な見方であって、ゲーム全体の中にRPGを位置づけようとするならば逆の見方をした方がいいと思っている。

 つまり物語り・表現としてのゲーム行為、そのゲーム性は古今多くのゲームに内在してきたが、近代ウォーゲームにおいてその発達が大きく、個人という単位を扱うメカニズムの最発展形として生まれた『チェインメイル(とそのサプリ)』を契機として、そのゲーム性をメイン要素としたジャンルが形になって現れることになった、という見方である。

 結局のところ人間が為す事象・意味の配列――物語の核は人間である。人間を単位として扱えなくては真に物語りをゲームすることはできない。結果として『チェインメイル』はその可能性を視野に収め、D&Dとしてその可能性に先鞭がつけられたわけである。


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laevaと名乗っていましたが、呼ばれる際に恥ずかしいという問題が発覚して以来、にるば(nirva)と名乗ってます。RPG、ボードゲームなどが趣味。
 
 コメントへの返信が大体遅れておりまして失礼しておりますが、おそらく質問等は、twitterの方でしていただいた方が短時間で認知できる確実性が高いかと思います(右カラム参照)。

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