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草稿1のおさらいとトラバへの感想 

 見事に十日放置。でも十日は短い気もする。とまれ、そろそろ続きでも書くかと思いつつ、トラバされていたようなのでその前に何か書いておこう。さって……


 → NPCが主役なのが許されるパターン:(・_・)

 えーと。返答やら反論やらするようなことも正直ないのですが……w

 というのは、単純に氏の論理と私が書いたこととでは論理の段階というか、階梯が異なるので、氏の論理が私の書いたことに何か当否を投げ掛けているというようなことがないからです。私は基本的に「卓の参加者(GMとPL含む)が前提とするべき理念」について書いていたのですが(だから「正当化される枠組み」)、一方、氏の書いていることはGMのシナリオ記述、ストーリーテリングといったマスタリングテクニックレベルの話題です。

 まあ敢えて氏に対して反応するとすれば、思考の論理性が多少粗雑ですねとかちょっと空回ってますね、という傲慢な感想を返す程度か。それも大人気ないしなぁなどと言いつつも書いてしまうわけですが、なぜなら私もまた大人気ない存在だからです。多少とかちょっととか言うのは、別に論理階梯の筋違いを除けば瑕疵はないからで、マスタリングやシナリオ構築レベルのテクニック論としては普通に見れます。

 まあこれだけではなんなので、自分の論旨のおさらいと、氏の論理への感想でも。






 草稿1は前置き+理念篇ですが、要はまず、
ゲームの参加者は他の参加者をないがしろにしてはならない
という超☆大前提理念があり(少なくとも私はそう思っていて)、そこから例えば
キャラクターには存在している意味がなくてはならない
という同じく大前提級の話が演繹されます。キャラクター(PLが操るトークン)が存在することでそのセッション内時空で起こっている事態が変化する可能性が担保されなくてはならないし、故に事態に干渉する余地や手段がなくてはならないし、また干渉する動機がなくてはならないわけです。存在している意味がないのならばその参加者は何故その場にいるのでしょうか?他者の物語りを聞いて楽しむため?

それはゲームの参加者ではありません。

それで楽しいならそれはそれでいいのですが(面白いセッションを横で聞いてたりすること自体は楽しいですよね)、それはそれとして、その状態はまともなゲームではありません。

 敢えて言えば、その楽しいセッション空間に自分やPCが存在しているということ自体に(横で聞いていたりするのに比べて)快楽と満足感を覚える人がその参加者ならば、話は別だと言えないこともないでしょう。所謂「地蔵プレイヤー」というやつですが多分……脱線してきているのでこの話題は割愛。


 さて、んで。
GMが特定個別キャラクターに焦点をあてること
にはおそらく、一般的な素朴感覚として無条件に肯定しがたいところがあるだろうと思い、そこを基点に話をはじめています。さりとて別に焦点を当てることそれ自体が問題なわけではなく――特定個人に焦点を当てようとする際に上の前提が犯され易くなるのが問題なわけで、焦点を当てようとする際には上の前提をマジで意識して気をつけようね、という話だったわけです。






 私からすると、上に明示化したような理念は当たり前過ぎて、どういった状況であったらこれらの前提を否定してよくなるのか理解に苦しむ(というか、当たり前のこと、公理とも思えるようなことから順次語り下ろしていくのが私の基本姿勢なのですが)というか、これらの前提を共有してない人とは卓を囲みたくないわけですが……

 この理念が否定される空間というのは、ゲーム以前のところに大きな問題を抱えているのだろうと私は思います。ゲームについて何か論じる前に、もっとすべきことがあるのではないでしょうか。

 まあ、この前提なりへの批判や是非以外にも、上のようにかいつまんだ以上は「そんな風には読めないぞ」といった反論もあり得るでしょうが。そう思った方はコメントでご説明いただければ幸いです。






 さて、ぼちぼち氏の論への感想など。

 まあ、そもそも冒頭から出てくる「かまわない」とか「困る」という言い方が、効用・度合いといったものを指していることを表しているわけで、テクニック運用の匙加減の話であることを示しているなぁなどと思うわけですが。

ポイント1:NPCを主役にするなら、NPCがPLに好かれるよう努力すべし

 一般的にはまったく妥当な話です。PLのNPCへの好意というのは、PL/PCの動機に大きなウェイトを占めます。嫌いなヤツに好き好んで関わりたいですかw?特に氏の言う「パターン1」の場合はそうで、好感を持てない者に味方する、という時点でPLのモチベーションにはそれなりに低下するでしょう。

 好感を持てない者を味方につける、という話ならまた別なのですが、この場合、脇役プレイの話ですからね。もちろん、好感を持てないことにシナリオ的意味があって、他にモチベーションを与えるような要素があるならその限りではありませんが。とは言え、無意味にイヤなヤツするというのはGMがPLを愚弄しているようなものです。まさに件の前提を蹴破っていると言えます。やめましょう。

 逆に好感を持てないことをモチベーションにする、というパターンもあり得ます。とは言え、嫌いだから嫌がらせがしたい、足を引っ張りたい、という流れは非常にルサンチ臭くなるので、氏が「パターン2」で述べているような文脈で難しいでしょうw。ノワールな空気とかで、最初からそういうモードに卓がなっているのでなければ避けた方が無難ではあります。

 他だと「イヤなヤツだけど能力はさほど高くない」という風に、道化にするのも一つの手でしょう。PCが裏方として云々画策したり、あるいは手柄を取らせたりしながら、「しょうがねぇなぁこいつは」等と言ったりしてニヤニヤしてそのNPCを眺めている、という情景。これは分かりやすいのではないでしょうか。まあ、でも、これは好感度が高いのかなw。ゲームによってはそういう定番NPCいますよね、N◎VAの超☆司政官とか。

ポイント2:PC同士が対決する設定で、敢えてNPCを主役にしたければ、NPCが常に誰の派閥にも付かないような絶妙な立ち位置を考えること

 そもそもPC対立という時点でアレですが……w。これに当てはまらない可能性としては、それぞれの陣営が違うNPCを担いでいるというパターンが考えられます。というか、PC対立でNPCが物語上の主役というパターンで最もあり得るのは、そのNPCの行動なり立場なりが自陣営の利益になるように競走する、みたいな形だと思います。CSTはいい例の一つですね。両陣営の上にいる人間の関心を引き合う、というのは別段レアでもなんでもないのでは。






 長くなってきたのでこんなところでいいや。これだけでは何なのでとか言うと話がどんどん余計なところに行くよね。

 個別に云々言うのでなくて引っかかったことはと言えば、「NPCが主役とはどういうことか」について考察せずに話を進めてるところですかねぇ。というのも、大きな物語上の主役っていうのと、そのセッションでクローズアップされる度合いってのは必ずしも対応しないものなので。
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コメント

>セッション内時空で起こっている事態が変化する可能性が担保されなくてはならない
この前提は疑問。動機付けとかより予定調和というメタな強制力で規定の結末に持っていくようなプレイがあると思うし、最近の鳥取の下の人たちはそれを逆手にとって暴走することを楽しむことがむしろメインになっている気がする。何をやっても結末は変わらないという安心感の上に暴走を許容するって言う遊び方。そこでは可能性は担保されずにむしろ積極的に抑えられていると思う。
私は事態が変化する可能性がないと楽しみが半減するんだけれども、どうも下の人たちはそうではないらしいし、むしろ可能性を提示して決断を要求すると進行が止まることも多い。

どうでもいいけどトラバ返しは?

とりあえず真っ正面から

ここでいう「事態が変化する可能性」というのはそういうシナリオ分岐の多様性という文脈を指しているわけではなく(近いところにあるのは確かですが)、もっと単純に考えて下さい。ゴブリンがいる→ゴブリンが退治されたという、単純だったり、まずどのようなキャラクターでも然程変わらない展開を迎えるだろう構図であっても、この「→」がPCの行動の帰結なのならば、それがここで言う「事態の変化」になります。

引用された部分には、「キャラクターが存在することで」という条件が書かれてると思いますが、そこを考えてもらえば、「キャラクターが存在することで事態が変化する可能性がある」という前提に漏れる仮定が「キャラクターが存在していても(いてもいなくても)起こる事態に変化がない」であることは分かってもらえると思います。


例えば、ダンジョンアタックは基本的に十色氏的意味で「事態が変化する可能性がない(少ない)」ですよね。でも実際には――というか文字通りには、PCが罠なり敵なりに遭遇して、それを突破したり、あるいは突破できなくて撤退しても敵が傷ついて警戒度を高めたり、パーティを挟撃すべく配備を変えたりといった感じにセッション内時空で起こっている事態は変化していっているわけです。

ここで策定している「(キャラクターがいてもいなくても)事態が変化する可能性がない」は、まあ最早蛇足だとは思いますが、端的に言えば以下のようなものです。
超絶美形最強NPC様がパーティにいて、先頭に立ってばったばったと敵を薙ぎ倒し罠を吹き飛ばしボスの首を飛ばす――PL達「俺らいる意味あったの?」

世の中にはいますからねぇ、PLを観客化しようとするGMが……まあ上述のような感じの古典的吟遊詩人は流石に1回しか見たことがありませんが。

元々、ゲームが「真っ当なゲーム」として成立する前提、という恐ろしく根源的な=広い範囲を包括する話題を扱っているので(逆に言うと、それほど単純なレベルでの一般性の下に「主役/脇役が存在する」構図を記述しようとした)、そうそう普通のプレイを排除できるような前提を想定してはいませんな。


なお、十色氏のレスで語られたような遊び方はまあそこまで鳥取限定的なものではないと思いますが、一応私はそういう遊び方には「変化する事態の枠が異なるだけで、変化可能性を否定しているわけではない」という見方を取ってはいます……いるけど……まあw
そういう見方をしている上で、彼らの変化の幅は小さいなぁとは感じます。てーか、そっちの枠内でも狭い上に、十色氏の言うような枠だと対応すらできないのは如何ともし難いですな。悩んで色々相談したりするとか、決断材料を探すでもなく、本当に止まりますからねぇ。ううむ。


>>トラバ
わざわざする必要も感じない――というのは普通に嘘ですが、しなかったというよりできませんでした。よく分かりませんが、exblogはトラバに会員登録が必要らしいです。あとちょっとググったら、強引にやろうとすると文字コードの問題で文字化けするそうな。
まあ、面倒くささを超克してそこらをかい潜ろうとするほどには必要性を感じなかった、つーのはそうかもしれない。

というか、今見たらトラバurlが表示されてたことに驚いた。ちょっと探して見つからなかったように思ってたのはタダのマヌケかふぁーっく。まあ文字化けするそうだしいいや。

変化の因子になれるということ

この項の発端になったGMからも横槍。

私にとって、TRPGという娯楽の楽しさの1つは、自らの分身=PCが変化の因子になれることだと考えている。
変化といっても、世界を変えるとか体制をひっくり返すとか大げさなものではなく、leave氏の言う「事態の変化」を自らの手で作り出せるというのは、他ではなかなか得られないカタルシスではなかろうか。

もう10年以上も前になるけれど、私のTRPG原体験は中学1年生の時、しごく普通のゴブリン退治だった。敵の巣窟である洞窟の前には見張りが2匹いて、気づかれずに接近できそうにはない。さぁ、どうする? とGMは尋ねる。短い議論の結果、採用されたのは私の策だった。物音を立てて1匹を誘導し、その隙にもう1匹を始末するという他愛もない計略ではあったが、結果として中にいるゴブリンには気づかれることなく見張りを排除することができた。
この一幕で、私は初めて「ああ、TRPGって楽しいんだなあ」と感じ、この時の鮮烈な印象は今も私の中に息づいている。

久しく忘れていたこのエピソードだが、今思うとGMを務めてくれた当時高3の先輩の手腕に唸らざるをえない。彼はゴブリンの潜む洞窟とその前にいる2匹の見張りというセッティングだけで、TRPGという娯楽の魅力を伝えてみせた。
「困難な状況を前に、自ら考え、議論する楽しみ」
「その結果講じた策が見事に決まり、状況を打開できた時の喜び」
「PLのアイデアを生かして、状況を変化させるマスタリングの妙」
3つのうち上2つはTRPGプレイヤーなら誰しも感じたことがあろうと思うので、3つ目について補足したい。

この策を受けたGMは、別にPLの希望通りゴブリンを分断する必要性など全くない。2匹が同時に様子を見にきてもいいだろうし、1匹が異常を伝えに洞窟に駆け込む、または警戒して2匹とも近づいてこないなど、いくらでも別の状況を作り出すことが可能である。新入生で初心者だから手加減してくれたのだろうか? いや、おそらく違う。GMであるところの先輩は、自らが変化の因子となれる喜びを知っていて、PLの望みどおりの結果を描写してみせることで、それを我々に教えてくれたのではないだろうか。
この先輩は私にとって、GMとしての永遠の憧れであり目標であるのだが、それはこの時の体験が根底にあるのは間違いない。私にとっての「上手いGM」の条件の1つは、この様なマスタリング(相手の力を利用して投げる合気マスタリングという命名を今思いついた)が自然にできることである。

だからGMとしての私は、PC(しばしばPL)のアイデアはできるだけ生かしたいと考えているし、その結果シナリオの展開や、結末をも変化させる、受身のマスタリングを好んでいる……と自分では思っているのだが。PL諸氏にはどう受け取られているのだろうか。いや偉そうにのたまっているがまだまだ精進が足りないのは明白であるし今の自分が幾多の失敗と反省とPLの犠牲の上に成り立っているのは紛れもない事実だし、そしてleave氏のただ一回体験したという吟遊マスタリングって俺なんじゃないかと思うとうわぁぁぁぁぁ……(黒歴史を思い出している

投稿してからleava氏をleave氏と誤記していたことに気づく。平にご容赦を! あとすげぇ長文。これもごめん。

いや、名文をありがとう。
私は長文であること自体は全く気にしません。
むしろこれを独立記事として転載させてくれって感じ。

しかし合気マスタリングいいな。特にPLが全く気付かぬままに拾われている辺りが合気っぽいぜw。皆か、皆はねぇ、多分おぬしのマスタリングに畏怖すら抱いていると思いますw

「受け身……!? ざわ……ざわ……」

トラバ補遺

ふと思い立ってエキサイトブログを開設して、試しにトラバしてみたら特に化けてもいませんでした。また見えない孔明と戦っていたようです。

気をつけろ!誰もが孔明の罠に操られている!銅鑼を手離すな!

てなわけで一応トラバ返し。これでエキサイトブログの人に平然とトラバできるようになったぜ。いや、多分ほとんど機会ないけど。

それはそれとして草稿2の部分からまだ1文字も進んでません。

合気マスタリングとはステキなひびきですね。そんなふうにTRPGが語れるなんて羨ましいです。

>もっと単純に考えて下さい。
もっと広義な、キャラクタの果たすべき役割が存在するという意味ですね。

>「変化する事態の枠が異なるだけで、変化可能性を否定しているわけではない」
それはまあ、過程は変わりますけれどね。結果に対して責任を負わないノーリスクなゲームです。PLもGMも誰もリスクを負わない。そういうリスクを取れる人から化けていくんじゃないかと思います。TRPGに限らず。

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laevaと名乗っていましたが、呼ばれる際に恥ずかしいという問題が発覚して以来、にるば(nirva)と名乗ってます。RPG、ボードゲームなどが趣味。
 
 コメントへの返信が大体遅れておりまして失礼しておりますが、おそらく質問等は、twitterの方でしていただいた方が短時間で認知できる確実性が高いかと思います(右カラム参照)。

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