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脇役やろうぜゲームの話:草稿その2 

 そういえばとて、とりあえず書いた部分だけ続き投下。
 完成させるまで眠らせておくと、永遠に眠ったままになる予感がするぜ。



3.ゲームと物語と脇役


 詳説はここでは避けますが、物語に謳われる行為の実践やそのごっこ遊び、それが長じてのテーブルゲーム化……「ゲーム」とは古来、「おはなし」の疑似体験(シミュレーション)装置としてあり続けてきました。世界のどこでも共有される物語――例えば戦争、旅(or探索行)や競走、神話に宇宙論。ゲームの歴史の動脈を為してきたゲームは、どれもこういった物語を手元で操作するものであり続けてきました。チャトランガ系統や双六系統、碁etc。RPGもまた例外ではありません。

 上では分かりやすくするためにテーブルゲーム中心史観でものを言っているが、RPG者としては言語ゲームの伝統――系統にあらず――についても注意を喚起しておきたい。ここで言いたいのは別にウィトゲンシュタイン的TETSUGAKU用語ではなく、単に「言語を主な用具とするゲーム」程度の意味。
 D&Dの前身はミニチュアウォーゲームのみではなく、アーンソンが意識的に持ち込んだ「ロールプレイ」という言語ゲームもまたそれに当たる。特に日本は、希有なことに協調型言語ゲームのゲームとしての具象形「連歌」を歴史的に持ってきたのだから、我々は尚更この側面に思惟を向けていい筈である。

 さて、物語には主役が付き物です。逆に言えば、物語には脇役が付き物とも言えます。登場人物の全てに同じだけの重要度を付与し続けることがどれだけ困難であるかは、RPG者なら自ずと分かることでしょう。チェスや将棋のコマにも強弱や使用頻度に差があり、またかの『チェインメイル』にも(ファンタジーサプリメントにですが)「Hero」や「Super Hero」といった概念があります。RPGが発生する過程において、「ゲームの場に展開される物語」における主役格のキャラクター、といった発想があったことは明白なことではないでしょうか。



4.初期RPGにおけるPCの位置づけ


 といっても、5人といった多数からなるPL達(白箱の想定人数もこの程度である模様)。我々は前提として4人前後、5人前後からなるRPGのプレイ風景というものを知っていますが、彼らはそうではなかったでしょう。誰か一人が主役格になることが自然と受け入れられたとは思えません。

 何故5人程度だったのか、ということについても一考の余地があります。これについては、おそらく実体験として知っている方も多いかもしれませんがw、同時に円滑に卓を囲める人数というのは限られていた、という必然的な自然収束を考えてもいいかもしれません。
 また、ミニチュアウォーゲームという器を考えるに、個人単位の最小軍編成である班(team)の人数から着ていると見てもいいかもしれません。おそらくは「個人単位で構成される部隊」で怪物達を倒しに行く、というプレイ風景があったのでしょうしね。といっても、まさにこの班人数こそ先述のような必然性に基づいて生まれたと思うのですがw

 ともあれ、初期D&DのPCの位置づけには、5人程度、ひょっとしたらさらに多数からなる集団が、特に誰かが主役格になるでもなく――あるいは「全員が主役として」――共同で何かを為すというセッティングが要求されていたわけです。

 ガイギャックスがD&D創造のイメージソースとして挙げたロバート・E・ハワード、L・S・ディ=キャンプ、フリッツ・ライバー……彼らの英雄譚はまさに「主役格の一人またはコンビの英雄」という構図であって、原始D&Dのスタンダードセッティングに(直接的に)反映されていたとは思えません。やはり、原始D&Dの「冒険」の基本像は、ガイギャックスが影響を過少視したがっているトールキンの「旅の仲間」探索行、特にモリアにおけるそれだったのでしょう。そこには、地下深い世界(Underworld)になるほどに強力なモンスターが――深淵にバルログが!――待っているのです。

 とは言え、ガイギャックスがソースとしてあの三人の作家を挙げたことを軽視すべきではありません。あの時代に共有されていた「ファンタジィ」の質、ファンタジー・セッティングでやりたいと望まれた物語がそこにあるのですから。アーンソンの「ロールプレイ」が、南北戦争ものでリンカーンを演じるようなそれから始まっていることを忘れるべきではありません――主人公なき物語をやりたいという理由で主人公なき物語構造が構築されたわけではないのです。

 特に日本で陣営的に物事を見ようとする人が大いなる勘違いを犯してしまうのだと思いますが、D&Dは原初ダンジョンで始まり、レベルが上がるとやがて野外に興味が移り、順次広い世界を導入していった――などという物語は虚構に過ぎません。言うまでもなく『チェインメイル』は野外セッティングを基本として始まり、そしてまた、白箱には地下世界(Underworld)だけではなく、地上世界(Wilderness)も舞台として描かれていたのですから。ここで「Wilderness」を「野外」などでなく「地上世界」としたのは、それが城や都市などの人間共同体も含んでいる概念だからであり――シティ・アドベンチャーなども明らかに、初期RPGの展望に入っていたのです。






 まだ「脇役やろうぜゲーム」の話題に辿り着いてないけど、また続く。
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laevaと名乗っていましたが、呼ばれる際に恥ずかしいという問題が発覚して以来、にるば(nirva)と名乗ってます。RPG、ボードゲームなどが趣味。
 
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