スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「どうする? SCO」について雑感 ─ ITmedia News 

 「ITmediaニュース:どうする? SCO」を巡って思うところ。
 基本的にSCOに対する感情的な反応ですけれども…ざまを見ろ、ですわ!もう年貢の納め時…になるといいなぁ(そもそも短期的に荒稼ぎしたりするのが目的だったという可能性もあり、もう目的は達したのかもしれません)。この問題がどのようなものかにはここでは触れませんが、アメリカの著作権ビジネスってホントに腹が立ちます。一般論として言いますけれど、自分がその創造に関わってもいないのに、その知的財産に関係した行為は自分への権利侵害だ、と言う…その知的財産を巡って何が行われているかに関わらず、そもそも、そこから既にはしたないです。
 こう思うのは多分、私が「著作権」というものに対して持っているイメージのせいでしょうね。

 著作権、著作に関する権利、著作者の権利。
 著作という行為に与える権利。
 知的創造に与える権利。
 創造・アイディア・知的労働への評価。
 創造と知性…その偉大さへの称賛と守護

 著作権という言葉から連想を連ねていくと、私はそんな美辞を想起するのです。無論美辞は美辞、理想は理想でしかありませんし、著作権とは!と言って、上のようなことを語るつもりはございません。けれども、著作権ビジネスの暗い部分に関わる人たちは、そんな美辞や理想を土足で踏みにじります。創造と知性に偉大さを認める私の感情もまたそれに移入されるのです。
 無論SCOだけでなく、どこも多かれ少なかれやってきたことを知ってはいます。でもこんな大々的で(規模のことを言っているわけではありませんが)、そしてあからさまなことをやったのは稀でしょう。彼らに目をつけられたのが、おそらくここ数十年で最も偉大な創造行為の一つであり、新たなパラダイムを産み出したほどのものであるからなおさらに、はしたないなぁと思うのです。そもそも彼ら自身、この創造行為の産物であるLinuxで商売をしてきたのですし。

SCO問題について参考となるページ
 ・はてなダイアリー - SCOとは
 ・ITmediaによる関連記事まとめ

 かようにSCOの行為を罪と悪徳というフィルターで見る私ですが、彼らにはそうは映らないのでしょうね。そもそも日本語と英語とでは、意味合いが大分違うように思います。つまり、「著作権」と「copyright」とでは。著作権は、その言葉からして「著作という行為への評価」を内包しますが、copyrightはあくまでも「複製するcopy権利right」でしかありません。copyrightの起源が、著作者とその著作行為の保護にあったのは確かなのですけれども、その言葉はあくまでも著作物の「複製権」でしかないのです。そこから理想を謳い上げることはできません。現実の機能としては「copyright=著作権」ではあるわけですが、言(こと)は事(こと)。ある概念、情報に貼られるラベルそれ自体も意味を持ち、文化的力を持つわけで、私と彼らとでは、そもそも心性を作るものが異なっていたのでしょう。
 なお別段、著作権とcopyrightとの言葉面の違いをもって、英語文化圏の人間は著作行為に対する尊敬の心が薄いのだ、とか言うつもりはありません。毛頭も。そして上の「心性をつくるもの」云々の言葉も、日本語母語者、英語母語者に一般化するつもりも基本的にはないです。オープンソース運動という創造行為は広く称賛を受けていますし、SCOの行為に対し、それに関わる人間は皆怒りを顕しています。とは言え、やはり著作権ビジネスやサブマリン特許といった行為が蔓延するアメリカの文化的基盤・土壌が、この言葉の違いに垣間見えるような気がするのです(そしてそれは、アメリカという文化が持つ創造行為への尊敬心の強さとは全く別の話です。全く別の、そして並列した話です)。
(他の英語圏、あるいはcopyright同様の言葉を持つ国の状況、copyrightの歴史などには詳しくないので、こんなこと言っても薄っぺらい言説にしかならないんですけどね…ホントは「説」とさえ言えないんでしょうけれど。)

 とりあえず雑感でした。

 以下は最近、幾度も幾度も書かれてきた類いの文章でしょうけれども、なんとなく書きたくなったので、書きます。あまりとりとめもありませんてれど、まあ。しかも書きかけ。書きかけでなくなる時は、別の記事になるでしょう。

 最近WinnyなどによるP2Pファイル交換が問題になっていますけれども、この作者(ウチの大学の助手の方でしたから、逮捕された時には結構騒がしかったです)は「最終的には(従来の概念は)崩れるだけで、将来的には今とは別の著作権の概念が必要になる」などと言ったそうです。それは確かでしょう。Winnyの是非について私は何も言うつもりはありませんが(使ったことありませんし)、インターネットはその最初期からP2P的であって、ファイル・知的財産を共有するような文化が基盤にありました。インターネットは世界と交わり、世界はインターネットから多大な影響を受けています。Winnyがインターネットの申し子の一つなのは確かでしょう。思えば、Linuxコミュニティーの産み出した文化、パラダイムも同様の文化の申し子であって、彼らは双子なのかもしれません。この影響はますます強くなり、著作権=複製権(貸与権、公衆送信権などもありますが…)という法制度と、文化との間の亀裂は拡大してゆくでしょう。

関連記事

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nirvanaheim.blog116.fc2.com/tb.php/248-9f716a00

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。