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とある現代の魔法社会 

 大学で夏学期に道教(台湾における道教儀礼)の勉強をしたのですが、そこで先生から聞いた、とあるドリームスピーカーの誕生のエピソード。の前に、台湾の宗教職能者について少々書いてみたいと思います…衒学の類いという気もしますが、まあ得た知識の整理ということで。

 まず事前知識として、台湾の宗教職能者は大きく分けて三種類が存在します。まず道教の道士。法教の法師。最後に霊媒の童○(○は乱の「舌」部分が「占」になったもの。占Lみたいな)、タンキーです。類型としては、道士が「プリースト」で法士が所謂「霊能者」、タンキーが「シャーマン」になるでしょうか。シャーマンとしてはこのタンキーの他に、我が国のイタコのような●姨(●は兀と王を組み合わせた字)、アンイーという人々等いますが、「宗教儀礼」に関わるとなると、廟や神壇の神が降りるタンキーが主となります。
 この三者分立の「台南モデル」が、漢民族宗教社会の最も奇麗な形、類型だと見做されています。大陸だと、場所によって仏僧が道士とか法師とかの機能をになっていることがあったりします。

・道士
 まず、現実に存在する道士は、基本的にファンタジー作品(近年のライトノベルは無論、神仙伝や封神演義なども)に出てくるような魔術師のごとき仙道修行者ではありません。山籠もりをしたりはしませんし、道士に要求される能力は経典の暗誦、楽器の演奏、儀礼の遂行、といったものです。あと基本的に世襲です。よく言われる「仙人」は、道教における「神」、道教の神、だと思って下さい。

 道士とは「道」の臣、「道」の高官、直臣と言うべき存在で、冠(金冠)に朝服、朝板(笏)を身に付け、旧王朝の宮廷官僚のようないでたちをしていることからもそれが伺えます。彼らは理論的には、道(の人格化である太上老君など)に上表してその配下の道教神に命じさせて、また道の権威を背景に、儀礼をやった現地の民間神に協力させて様々なこと(例えば雨を降らせるとか)を行なわせる、というような形で種々の儀式を執り行います。
 この「道に直接アプローチできる」というのが道士の肝で、言わば「現地民の陳情をストレートに中央政府に持っていき、政策に反映させる/地方自治体にトップダウンでやらせる」という感じでしょうか。この場合地方自治体というのは、現地の民間信仰のパンテオンのことですね。よく封神演義や西遊記などを挙げて「仙人は神より立場が上」とか言われることがありますが、道教の宇宙論的には、道教神は民間神より立場が上なわけです。

 ちなみに「道教の神」という言い方をしましたが、道教の神と道教でない神はちゃんと区別されてまして、一般の「廟」で祀られているような神は基本的に後者に分類されます。廟というのは我々で言う神社ですね。例えば横浜に三国志の関羽、関帝聖君を祀った関帝廟があるのは結構有名ですが、つまりこの関帝聖君は道教の神ではないわけです。非専門家は「道教とは漢民族の民間信仰である」等と一般に言っているようですが、違います。道教はれっきとした宗教であって(中でもTHE・道教とも言うべき宗派が、天師道というものです。漢代においては五斗米道とも呼ばれていました)、民間信仰とかなり区別できます。と言っても民間信仰に道教が密接な関わりを持っているのは確かなことで、外国人が一体と見做してしまうのも無理からぬことでしょう。

・法師
 日本で法師と言えば仏教の僧のことですが、こちらの法師は「法教」の徒です。符呪を使い、現地でリクルートした鬼(陰兵)を使役して、悪鬼を払ったりします。基本的にシャーマン(タンキー)と組んで活動し、周囲で呪文を唱えたり、場を霊的に防護したり、儀礼参加者を浄めたり、霊媒の力を引き出したりします。
 何らかの宗教体験をきっかけに志す職能ですが、これが一番霊能者っぽいですよね。ちなみに格好は平服、赤足(裸足)です。ジャージ着て儀式やられたらイヤですね。

・童○(タンキー)
 さてタンキーです。タンキーはシャーマンであって、大きく分けて二種類の人間がいます。即ち「武」の者と「文」の者です。前者はまごう事無き霊媒であって、己に神を降ろして神懸かり状態になり、飛んだり跳ねたり、剣(鋭利なもの)を持って己に傷を付けたり(血には浄めの効果があると思って下さい)と盛んに身体を動かし、神の意思をトレースします。そして神の言葉を現世に伝えるのです。ところでその言葉の伝え方ですが、基本的に「動き」によって伝達します。筆を持って字を書くこともあれば、椅子を持ってその脚を机に叩きつけて字を描くこともあります。砂に指とかで字を描いたりもします。
 さてこのように意思を伝えようとするわけですが、その字は基本的に読めたものではありません。そこでその字、言葉を翻訳・解釈して民衆に伝えてやる役割が必要になります。それが後者です。形としては、例えば前者が神懸かって机に椅子を叩きつけている横で、「これはこれこれこう言ってるんだ」と儀礼を受けている人間の代表者に伝えてやるわけです。
 この他「文」の者としては、神懸かると言うほど激しい見た目ではないのですが、突如神が降りてきて、無意識の内に何か文章を書いている、というような例もあります。自動書記というものですね。機能としては先の「武」タイプと同じです。

 ちなみにタンキーのタン(童)は、飛び跳ねる擬音を指していると思われ、所謂、非漢語の表音ですね。で、キー(占L)はこの自動書記のことを表しています。

 タンキーは、基本的に「神に(一方的に)選ばれる」形で生まれるものです。ある日突然神懸かったりするんですね。場所によっては(澎湖諸島とか)子供を集めて廟に入れ、お香を焚いて耳元で鼓を叩き…とやり、神懸かって飛び上がるのを待つ、とかいう慣習があるようです。この「廟に入れる」という言葉の通り、タンキーは廟と大きな関わりを持っています。つまりその廟の神が、専属シャーマンとしてタンキーを置くんですね。廟を管理するのはその地域社会(が作る委員会とか)なんですが、彼らも神とコンタクトするためにタンキーを欲しがるわけで、先程のような慣習を作ったりするわけです。

 三者の内、民衆と最も密接な関わりを持っているのが、このタンキーということになります。

 とりあえずこんなところで。

 あちらでは商業が発展しているところほどに、廟が立派になっています。企業人達が積極的に資金を出すんですね。そしてタンキーに神意を伺い、そのお告げによって種々の儀式をしてもらう…と。すでに先進国化を達成している社会でも、このような呪術的といってよい宗教慣習を保っているわけです。日本の都会にも、地鎮祭とか宗教的儀式がまだまだ残っていますが、あちらではもっと色濃いものとして残っているわけですね…
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