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[RPG] 戦闘の位置づけの問題:1 始原的記憶 

 何故戦闘がRPGにおいて主要マターであり続けているのか。その理由を3つに分けて論じる。つもりだったのだが、ちょっと2つ目で手間取っているのでとりあえず1。



1.始原的記憶

 最初のRPGがミニチュアウォーゲームから生まれてしまったため。

 現在RPGを定義づける要素は、この初期形態からの拡張及び、潜在的にRPG的であった外部マターとの融合によって多様化し、RPGの「本質」は非常に豊かなものとなった。だがその一方で、やはりこの初期形態が「アーキタイプ」「原型」として、「基本」として見做されてしまう傾向はあるものであり、ために「戦闘」はRPGにおいて特別視される要素であり続けるのである。


 コンピュータゲームの領域において、「CRPG(=一般社会の用語としての「RPG」)とAVGとの分化」が起こっていることなど、象徴的であると言えよう。またCRPG周辺において、「戦闘と成長」要素が「RPGの本質」とする発想はよく見かけられるように思う。

 ある文化について考える時には、その始点となった個体の性質を考えることは避けられないものである。「歴史的状況を考えたら、このような文化が生まれたのは必然だったであろう」と主張できる場合でも、それを具体的に確立させる始点の性質が異なれば、その文化の展開に異なった様相が見られただろう可能性に留意。


 なお、ここでは「D&D以外のものからRPGというメディアが誕生した可能性」については論じない。軽く触れるならば、ウォーシミュレーションでない、他の種類のボードゲームを背景として生まれる可能性は十分あっただろうと思われる。トラベラーが初めのRPGになっていたら、この文化における戦闘の比重はかなり違っていたのではないか。あるいは、グレッグ・スタフォードがもっと早くに個人を単位とするゲーム形式を考案できたならば。

 まあ、機会あらば、いずれ。
 いずれというか、どなたかエルダー・シィング、もとい古のものな方がやってくれないかなぁ。RPG畑からは結構はみ出ることになる領域の話だし、あとif話を深めるのはあまり生産的でないという問題はあるが。


(続く)
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コメント

そもそも、いわゆる「ゲーム」の定義中に「対立性」が混入してるってことがあると思うんだよな。
少なくとも、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンはそこから始めてるんだし。
その上で、多人数ゲームやあるいはそれを近似的に二人非ゼロ和ゲームにして、初めて「協調」という概念が出てくるのだけど、この「協調性を発揮すること、それ自体を楽しむ」って概念ってどれくらい普遍的なのやら。
  • [2006/03/08 21:22]
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  • 匿名血族.S にいさま
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 コメントへの返信が大体遅れておりまして失礼しておりますが、おそらく質問等は、twitterの方でしていただいた方が短時間で認知できる確実性が高いかと思います(右カラム参照)。

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