Twitterに書け(←自己言及的な発言) 

 → Twitterのブームは早くもピークを迎えたか?: Cyberlaw

実際にTwitterを利用している人(多数)と意見交換をしてみましたけど,Twitterの利点について説明できた人は一人もいませんでした。そのような人が「利点」だと考えている機能の大半は,違法行為を実現するための仕組みに過ぎないことが多く,禁止されるべきものばかりでした。

 「利点とやらについて説明はされたが、違法行為を実現するための仕組みだから『利点』ではなくて、利点を説明できた人間は皆無だった」というのはよく分からない論理――というか単なるアドホック条件の付加ですが(大半以外の自称「説明」群がどう否定されたのかは不明ですが)、別に面白いのはそんなところではなくて、少なくとも私の知っているTwitterには違法行為を目的にしているなどという高級な機能はないという点です。

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ルドルフ・ヘス ~ 二十世紀のディオゲネース 

【ゲルマニア・タルムードより抜粋】


 このような話が伝わっている。

「将軍は、白昼に照明弾を上げながら自陣を歩き回った。憲兵が来て何をなさっているのか、と尋ねると、将軍は応えて言った。『わしは兵士を探している』。将軍は拘禁された」。

 そしてまた曰く、

「そのような時に、将軍は副官に営倉を指し示し、『MP達はわしのために住み処をしつらえてくれる』と謂うのが常であった」*1

 ラビ・ニルヴァナヘイム曰く、
 「この将軍は潰走した兵を立て直した直後であった」。

 またラビ・イム・ヴェルトクリーゲ曰く、
 「重営倉を我が家とし、愛された、最後の将校。まるでヘスである」。

 ヘスとは誰か。それは、闘争の証言者である*2
 ヘスについてはまた、『列伝』*3に次のように伝えられている。

「ある人から『ヘスはどんな人だとあなたには思われるか』と尋ねられて、『総統閣下だよ』とボルマンは謂った。『狂ってはいるが』」。

 ラビ・イム・ヴェルトクリーゲ曰く、
 「ヘスは、ディオゲネース同様の理由で愛され続けるに足る人物である」。
 また曰く、
 「ヘスにいま少しの知性があれば、大川周明になれただろう」。

 一方、総統のヘスについての態度は次のように伝えられている*4

「副総統が逃亡したのを探すようにと忠告する者たちに対して、『おかしな話だよ』と総統は謂った。『もし、ルドルフはアドルフ無しにも生きていけるが、アドルフの方はルドルフ無しには生きていけないとすれば』」*5

 また、こうも伝えられている*6

「総統が、『もし自分がヒットラーでなかったとしたら、ヘスであることを望んだだろうに』と謂った」。

 ラビ・ニルヴァナヘイム曰く、
 「ヘスであるとは、敵にすら住み処をしつらえさせる男であることである」。


【現代の注釈者の註釈】

 1) 未詳。固有名詞での伝承は確認されておらず、史料による裏付けもない。
 2) ルドルフ・ヘスが『我が闘争』の口述筆記者であることを示している。
 3) 邦題『ドイツナチ党員列伝』を指す。続く箇所は第六巻第五十四節にある。
 4) 同じく『列伝』からの引用であり、この箇所は同第五十五節にある。
 5) 同第四十四節より。

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 非原点束縛 

 まず私の関心として「非原点束縛的な、RPGの包括的ゲーム性」という話題があります。端的に言えば、所謂「ストーリー重視」スタイルにもゲーム性はあるのだ、という話。「現在のRPGシーンはストーリー重視スタイルに偏り、ゲーム性を重視したスタイルは希少になった」などという言説は全くナンセンスなもの(これは、「現在」っていつよとかの分析的な意味でなく)であって、あるスタイルが敷衍しているのならば、そこにも、そこにこそ「ゲーム性」を求め、認めるべきだと考えるわけです。
 分析概念としては無意味化して久しいRPG三世代論

 普通 

>「普通」であることに価値を見出すメンタリティとはどんなものか

1.「普通でない」と他者に認めてもらいたい
2.「異常」コミュニティと「普通」コミュニティ両方に帰属心を持つ

とりあえずこの二つが即座に言語化できるものとして挙げられるか。それぞれ「普通(平凡)コンプレックス」と「異常コンプレックス」に対応している、と言うこともできる。いや、1は「普通と主張することに価値を見出す」メンタリティでしかないか。これが真っ先に出力されたのはつまり自分を他ならぬこの視点で捉えているということではある。まあ、これもまた異常コンプレックス/普通人願望の産物なのか、という鶏卵の前後話が発生するので、まともに思考をせぬのが我が流儀。

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