まどかマギカ劇場版視聴メモ書き起こし
さて昨日、友人に誘われて『まどか★マギカ』劇場版の前後編一挙上映を観てきました。いわゆる映像/動画メディアの「まどマギ本編」に触れるのは初です(カット・シーン単位でなら観たことはありますが)。
自分はどうもいわゆる映画とかアニメとか、そういったメディアに寄りつかないようなのですが、自分なりに考えてみるに、「総合芸術度が高いと摂取して処理しなきゃいけない情報が多様なのに、動画とか音楽とかはリアルタイムで情報が流れて去っていくから、立ち止まって整理したり戻って確認したりしにくいので疲れる」からなのではないかと思っています。もちろん軽く流す分にはそこら辺は大分軽減される筈なのですが、メディアを通じて情報を摂取する形態の拘束力が強いんですよね、こういうリアルタイムプレイ総合芸術って。その点本は、パラッとめくってちょっと確認して即座に戻れるという利点が……(怠惰
特に、それがすごい作品だと分かっている場合は観ながら認識が蒸発しないようメモを取りたくなろうというものですが、ただでさえメモを取りにくい上に、映画館という場所はその作品の情動操作力や集中力を大いに高めさせる一方、殊に会場が暗いこともあってメモが取りにくいです。困ったものですね。
ともあれそんな感じに素朴な感想を逐次——思ったことを一々全部書き留めてるなんてことは当然ありませんが——書き走ったので、断片的なメモについての記憶がこれまた蒸発しない内に、速記めいた崩れ字からテキストに書き起こしておこうという作業の結果が以下です。ただの覚書きですし、時系列に沿ってだらだら書き並べてあるだけです。ついでにメモを付したりしている場合もあります。
- [2013/01/01 22:36]
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アナログゲームの大枠的ジャンル概説/紹介
アナログゲームサークル(仮に「ゲームサークルD」とします)の公式サイトに載せる、「自分たちが扱っているゲームについて」概要を述べるページ、という設定で書いたという設定の記事です。
- [2010/10/19 17:00]
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[Togetter] オタク文化圏の人間の自意識過剰について
→ Togetter - まとめ「オタク文化圏の人間の自意識過剰について」
よくありますよね。コミック/アニメ文化の絵柄を、いわゆるコミック/アニメ文化と関係ない「一般人」が商品とか看板とかに採用して、それがネット上で叩かれる現象。パッと思いついたのでは、
→ 痛いニュース(ノ∀`):エロゲ絵師・西又葵がデザインした萌え米袋「あきたこまち」を販売…JAうご
とか。しかしこういう話題を見る度に私は思うんですが、多分その「一般人」は、そういうオタク的な文脈を共有してないから、単に「かわいい絵柄」とかそんなレベルに捉えて、叩かれているところの点をスルーするんじゃないでしょうか。
彼らにとって、ミッキーとかミッフィーとか「○○くん」と比べて何か本質的に違うものと――大ブランドでない、無名の何かということを除いて――思えるかという問題。それを特殊なものと見なして、特別に論難するという姿勢が既に、叩く人物を叩かれる側であるオタク文化圏の一員だと特徴付けているように思います。
(まあ、基本的にはアングラ意識、自己罰的な態度を取って「いつか来るかもしれない迫害」を避けようという心理があるからこういう叩きが起こるんだと思いますが)
と、そんな心理差がよく見える話を某希有馬屋さんこと、井上純弌氏がしていたので、勝手にまとめてみました(冒頭のリンクをどうぞ)。
- [2010/03/15 16:26]
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電網夜話:銀英伝と制度構造
twitterのタイムライン上で、しばらく前に牧口が書き散らした銀英伝記事が言及されているのを見かけて懐かしくなったので、同日にmixiに放り込んでおいたそれに関する日記というか、件の記事が書かれるちょっと前にしたメッセのログ転載な日記をこっちに回収することにしてみた。ただのカレンダー埋めとも言う。
- [2009/09/24 04:29]
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書の天竺より来たる
先日の文献紹介でも言及した『The Blackwell Companion to the Study of Religion』を、どうせだしと執筆中に取り寄せていたのですが、それがやっと届きました(やっとと言っても、郵便局に2日ほど置きっぱだったわけだけれど……w)。
と思ったら、配送元がインドなのに不意を撃たれて、思わず吹いたw
以下、なんとはなしにそれのレポート。何故わざわざと言えば、多分インドだからかなw。出品者は「REM_DISTRIBUTOR」となっております。
- [2009/08/28 13:54]
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宗教学文献紹介
友人の知り合いの知り合いという、距離3の間隔を介したルートで以下のように本の紹介を頼まれた。
1.体系的に書かれた宗教学の本で、
宗教学科の大学院前後のレベルで教科書的なもの
2.宗教社会学の本
3.宗教同士の関係、時代背景、形而学をメタに哲学する本
私が件の人物について知っていることは哲学科の人間で、宗教に関しては初学者ということだけであるので、バーッと関連書を多数並べられても困るだろうから(だから教科書的な本を探しているのだろうし)、それらしいものを各数冊に抑えて紹介してみることにする。
なお当然だが、真面目に時間をかけてこの学問を勉強しようという人は、こんなブログではなくまず入門書でも買って、そこにあるだろう「文献紹介」を読むべきである。
- [2009/08/22 06:16]
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とりとめもない話
某イラストSNS投稿の漫画の話で、こういうのがあった。
量産型の人造人間たちが危険な調査任務に送り出されて、獲得した情報やチームメンバーの損害をリアルタイムに報告していると。で、今まさに、報告者が最後の1人になってかつ自分もやられようという場面で、被報告者が「見事な働きだよくやってくれた」「この情報は必ず存分に役立てよう」「安心して死になさい」とその最後の1人に言い渡し、それで彼は「了解しました」と言って穏やかに惨殺される――というシーン。
んでこれを見て、「最後の安心して死になさいのセリフが無慈悲な感じでいいですね!会社に有益な情報が大事でそれ以外は生き死にすら関与しない姿勢が、物凄くらしいと思いますww」というコメントをしていた人がいた。
……どうなのだろう、この感想は。
使い捨てを前提に作られたであろう存在の最後に対して、ねぎらいと称賛を与えた上で、いたわりの言葉すら述べているわけである。お前の生は無意味無価値なものではなかった、見事に生き、課せられたものを十全に果たし終えたのだと。だから、最後を迎えるに当たって、安心していい――
「道具」に対する態度としては無慈悲どころか慈愛深きと評価してもいいくらいではないか。報告を受けるだけ受けて、特に任務に必要でない限りは何のリアクションも与えない、「コミュニケーション」は一切取らない、というような姿勢であってもおかしくなかったのだから。しかも、それが「死ぬ」際のケアをきっちりしているのだ。「生き死ににすら関与しない」というのは酷い言い草だと言ってもよかろう。部下を死地に送り出した上司として見ても、なかなかに立派な態度ではないか。
- [2009/08/15 07:06]
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雑惑:疑似科学批判者の数学への態度について
数学は科学か否か。
――数学は科学である。
――数学は科学ではない。
上記の――いずれでもよいのだが――命題に対して、疑似科学批判文化圏に所属する人々(勿論これは、単に「問われれば疑似科学を否定する人」を指しているわけではない)がどのような見解を抱くか甚だ興味深い。
私が持っている偏見で言えば「数学は科学である」という見解を表明する者が多そうに思われるが、否定命題の方を真とする人に遭遇したとすれば、甚だ意味深いことである。
以降、人に会う機会があれば疑似科学についての話題を振って、食い付いた人がいれば上の命題を提示してみることにしようと思う。
- [2009/03/24 13:00]
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